レジェンド武豊騎手:アドマイヤ軍団と絶縁 そして近藤オーナーの遺言とは?

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レジェンド武豊と大物個人馬主の近藤利一さんとの関係について調べてみました。二人は一時期、蜜月の関係というほどの関係でした。しかし、あるレースでの武豊騎手の騎乗をきっかけに両者の関係は壊れてしまいました。なぜ絶縁となったのか?そして復縁したのか?調べてみました。

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【大物個人馬主 近藤利一】

アドマイヤの冠名を用いて

水色、白袖、青鋸歯形の勝負服で1987年から2019年にかけて

JRA中央競馬で通算745勝を挙げた大物個人馬主

中央GⅠを13勝、重賞を60勝、獲得賞金は178億円に上りました

個人馬主として大成功を収め

同じ時期に活躍した個人馬主

”金子正人”、”関口房雄”、”近藤利一”で

「キン(金)コン(近)カン(関)」と称されました

全盛期の武豊騎手とコンビを組んで重傷を勝ちまくり

アドマイヤといえば武豊というほどの関係でした

関係の始まり

近藤利一の馬主デビューは1987年、

バブル景気が始まり、株価が急上昇した

日本経済が盛り上がり世界の企業トップ50に

日本企業が45社も入っていた時期です

本業は大阪市の建築解体業とあって

最初の所有馬の馬名は「カイタイオー」でした

中央競馬では年間10勝できない個人馬主は珍しくなく

競馬は1つ勝つことが難しい世界

近藤オーナーも最初は年間10勝もできずにいました

年間21勝と躍進をしたのは馬主生活9年目

その後、Mロバーツ騎乗のアドマイヤコジーンで

朝日杯3歳レースを勝ち、GⅠ初制覇

翌年には武豊騎手とのコンビで

日本ダービーをアドマイヤベガで制し

ダービーオーナーとなりました

武豊騎手は前年のスペシャルウィークに次いで

日本ダービーを連覇、人気も実力も絶頂期でした

アドマイヤと武豊のコンビ

その後、武豊騎手は2003年、2004年と

アドマイヤグルーヴでエリザベス女王杯を連覇

翌年にはアドマイヤマックスで高松宮記念を制覇

年間39勝を挙げ、リーディングオーナーランキングでは

個人馬主として1位を獲得しました

2006年、近藤オーナーのクラシック有力馬として

名前が挙がったのは”アドマイヤムーン”でした

しかし、1番人気で迎えた皐月賞はメイショウサムソンの4着

その後のダービーでもメイショウサムソンの7着に敗れました

当時、競馬界は日本近代競馬の至宝

ディープインパクトの熱狂に包まれていました

豊は譲らん

凱旋門賞に出走したディープインパクトの帰国後の初戦が

天皇賞秋への出走が予定されていましたが

アドマイヤムーンもクラシックレースには出走せず

天皇賞秋に出走を予定していたため

武騎手のお手馬がかち合う可能性がありました

その時、近藤オーナーが

「ディープが出走しても豊は譲らん」

という趣旨の発言をしたのは有名な話

結局、ディープインパクトは天皇賞秋には出走せず

武騎手はアドマイヤムーンで出走しましたが

ここでもダイワメジャーの3着に敗れました

しかし、その後4歳になったアドマイヤムーンは

ドバイデューティーフリーで念願のGⅠ初制覇を達成し

近藤オーナーに初の海外GⅠ初制覇をプレゼントしたのでした

両者の確執

その後、事件がおきました

アドマイヤムーンの活躍に

ドバイのゴドルフィンが

移籍の話を持ち掛けてきました

アドマイヤムーンは次走を

香港のクィーンエリザベス2世カップに決め出走しましたが

武騎手は後方から追い込むも3着に敗れます

かなりのスローペースのレースになっていましたが

武騎手は前につけず

直線になってやっと外に持ち出すも

時すでに遅し

近藤オーナーは

「あの積極性のない競馬はなんだ!!」

武騎手を怒鳴りつけ二人の関係に亀裂が入りました

このレースの出来次第で

ゴドルフィンへの移籍金の金額に大きく影響する

負けられない大事なレースだったのです

その頃の武騎手は馬群の後方で折り合いをつけ

直線で馬の末脚を爆発させて勝利する

そんな乗り方が得意な騎手でしたので

騎乗自体は不自然なものではありませんでした

しかし、その後日本で行われたGⅠ皐月賞でも

一番人気のアドマイヤオーラに騎乗して

後方待機で4着に敗れ

近藤オーナーの怒りに油を注ぐ形になってしまいました

この結果、調教師、オーナーともに武騎手を非難し

武騎手も

「もう二度と乗らない」といい

アドマイヤ軍団と武騎手は絶縁状態となってしまいました

低迷と衰退

武騎手が乗らなくなったアドマイヤムーンはその後

岩田康誠騎手と共に宝塚記念を快勝します

そして、その夏に40億円という膨大な金額で

ゴドルフィンに移籍を果たします

その後、アドマイヤジュピタが天皇賞春で快勝

出走馬中4頭が近藤オーナーの所有馬という

個人馬主が複数頭の馬をGⅠに出走させることは滅多にありません

しかし、ここを境にアドマイヤ軍団は低迷期を迎えます

引退後はエンドスウィープの後継種牡馬として

名種牡馬サンデーサイレンスの血を持つアドマイヤムーンに

大きな期待を周囲からかけられていましたが

ゴドルフィンの買収で話が流れてしまいました

それまで社台グループから良血場を優先的に取引していた

近藤オーナーでしたが

その後、セリでの購入を余儀なくされ

徐々に成績も下がり昔のような安定した活躍はできなくなってきました

遺言

近藤オーナーは2019年11月17日

77歳でその生涯を閉じました

近藤オーナーが亡くなる2年前の当歳馬セレクトセールで

オーナーに落札されたのが

”アドマイヤビルゴ”です

その落札価格が歴代2位の6億2640万円という

超々高額で注目を浴びました

近藤オーナーはアドマイヤビルゴを任せた

友道調教師に生前、遺言を残していました

「アドマイヤビルゴには武豊騎手に乗ってほしい」

近藤オーナーはこの”アドマイヤビルゴ”を

ディープインパクトの後継種牡馬にしたいと期待をかけてきました

アドマイヤビルゴにはディープインパクトの主戦騎手だった

武豊騎手に乗ってもらいたい

そして、2020年1月19日、遺言通りに

アドマイヤビルゴは武豊騎手を背に

京都の新馬戦でデビュー戦を迎えます

超高額馬で、10年ぶりのアドマイヤ武豊騎手が乗るということで

単勝2.4倍の1番人気

武豊騎手は見事、近藤オーナーの遺言に勝利で応えました

しかし、アドマイヤビルゴはGⅠ戦線で活躍するほど成績は残していませんが

これからも武豊騎手とアドマイヤ軍団とのレースを楽しみましょう

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