マツコの知らない世界で登場した、世界的DJのナイトテンポのお家は昭和レロトの物で溢れていた。ナイトテンポ氏は特に「菊池桃子」と「Wink」が大好きなようで、どちらが好きか?問いに「選べません」と答えている。番組の後半では本人登場でナイトテンポ氏は喜びを隠しきれずにいた。
菊池桃子はソロのアイドル活動からの脱却し、新たな挑戦だった「RA MU(ラ・ムー)」とはどんなバンドだったのか?
【輝かしいアイドル:菊池桃子】
1984年4月発売のデビュー・シングル「青春のいじわる」から始まった菊池桃子の歌手活動は
独自の試みをもって展開されてきた
振り付け重視で、歌い手の技量はなくとも振りが引き立つように
作られた曲が主体であった従来のアイドル歌謡に対し
菊池の振り付けは控え目なものであり
作曲を一手に引き受けた林哲司は難度の高い楽曲も躊躇せずに提供した
こうした試みは成功し
菊池は1985年2月に発表したシングル「卒業-GRADUATION-」から
1987年3月の「アイドルを探せ」まで
シングル曲が7作連続で週間オリコンチャート1位を獲得していた
しかし、1987年7月発売の「Nile in Blue」ではオリコンチャート最高2位止まりに終わり
8作連続のオリコン首位獲得はならなかった
さらに同年10月発売の「ガラスの草原」はオリコン最高4位まで下がり
レコード売上枚数も10万枚を割るなどで
菊池自身歌手としての人気に翳りが見え始めていた
【独特な音楽路線だった ラ・ムー】
菊池桃子はアイドルでいることに違和感を覚えていて
ロックバンドのボーカルに転身するといい
新たに結成するロックグループ『ラ・ムー』のボーカルとして歌手活動を行うと発表
バンドの構成は2人の黒人バックコーラスを擁する7人編成で
本人達は「ロックバンド」を名乗ったが
菊池のアイドル然としたボーカルはソロ時代と変わらず
またサウンド的にも当時の日本ではそれほど定着していなかった
R&B、ファンク等の黒人音楽色が強かった
別の意味で話題になったものの
その斬新な音楽性も相まってコミックバンドのような扱いを受け
レコードのセールスはソロ時代を超えることはできず
オリコンで4位となった「少年は天使を殺す」以降は話題とならなくなった
【再注目されるラ・ムーの楽曲】
解散から約20年を経た2010年代の
シティ・ポップのブームの中で
ラ・ムーの楽曲群は再評価を受けている
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