NBAへ道を拓いた日本人 輝きつづける日本人

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みなさんバスケ好きですか?田臥勇太がNBAのフェニックス・サンズに所属して『日本人初のNBAプレーヤー』となったのが2004年。それから18年が経ち、2022年現在では渡邊雄太、八村塁の2人が世界最高峰の舞台NBAで活躍しています

アメトーークでは俳優・満島真之介も参戦してNBAトークが展開されます

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【NBAへの道を拓いた・田臥勇太】

田臥勇太の名前は一度は聞いたことがあるのでしょう

それもそのはず田臥は日本人で初めてNBA選手となった歴史的な選手です

神奈川県出身の田臥、8歳からバスケを始め若くして

その実力は頭ひとつ抜けていたそうです

中学校の頃には全国大会3位になり

個人としてもベスト5にも選ばれております

バスケットボールの名門校・秋田県立能代工業高等学校に入学後

即スタメンとなり、3年連続で高校総体国体全国高校選抜

3大タイトルを制し史上初の「9冠」を達成

公式戦で敗れたのは1年生の時の

東北大会で仙台高校に敗れたわずか1回のみである

大学はハワイへ留学し本場のバスケを体感し

日本のプロリーグで活躍した後に

2004年にNBAのフェニックス・サンズとの契約

合計4試合に出場、プレー時間は計17分、7得点3アシストの成績

日本のバスケ界において大きな一歩であり

田臥のプレーの魅力はそのドライブ力とパスセンスで

173cmというバスケ選手としては大きいとは言えない身長にも関わらず

NBAでプレーができたのはバスケセンスがずば抜けていたからでしょう

42歳になった現在はBリーグの宇都宮ブレックスに所属しています

【高さも兼ね備えたオールラウンダー・渡邊雄太】

現在28歳、田臥に続き日本人で2人目のNBAプレイヤーが渡邊雄太です

小学生時に三木スポーツ少年団で本格的にバスケットボールを始めた渡邊

高松市立牟礼中学校2年生時に香川県選抜チームのメンバーとして

第22回都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会に出場

尽誠学園高等学校に進学

1年次よりスターターとして全国大会に出場し

全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会では2年連続で準優勝し

大会ベスト5に選出されている

高校卒業後の進路についてはアメリカ留学を決意

周囲には反対の声もあったが、NBA経験のある田臥勇太もアメリカ行きを後押し

家族も田臥の言葉を信じてアメリカ留学が決定した

NCAA1部のジョージ・ワシントン大学へ進学した後

(日本生まれの選手がNCAA Iの大学でプレーするのは渡邊で5人目)

シーズン中、頭角を現すにつれ注目度が高まりNCAA1部での優勝に貢献し

メディアに渡邊の特集記事が掲載された

大学4年間では怪我があった年もあったが輝かしい成績を残し

大学卒業後は

メンフィス・グリズリーズトロント・ラプターズブルックリン・ネッツ

NBAチームに在籍し活躍をしている

2021年の東京オリンピックでは日本代表に選出された

【日本人最高傑作・八村塁】

日本人の母とベナン人の父の長男として生まれ

幼少時は陸上の短距離と野球をやっていた

陸上では100m走で全国大会に出場した

野球では投手と捕手を兼任しており、イチローに憧れていた

強肩であったため球速も速く投手をしていたが

あまりにも球が速いため子供では捕球できなかった

そのため捕手に転向したが成長痛による膝の痛みで野球から離れてしまう

中学生になると同級生からバスケットボールを勧められ

バスケ部に入部した富山市立奥田中学校で

第42回全国中学校バスケットボール大会準優勝、大会ベスト5に選出される

全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会では

大会三連覇を達成し

ニューヨークで開催された『ジョーダン・ブランド・クラシック』に

日本人として初めて選出され、世界選抜チームの一員として出場

その試合で八村は、18分の出場で9得点5リバウンド1ブロックを記録した

 

ゴンザガ大学に進学を決めて渡米した八村はその目覚ましい活躍が認められ

2019年のNBAドラフトにエントリーを表明し

ワシントン・ウィザーズから一巡目9位指名を受けた

「皆さんやりました。NBAです」とインタビューに答えた

日本人でNBAドラフト指名を受けたのは岡山恭崇以来で

1巡目指名は初の快挙となった

2019年6月22日、日本人初となるエア・ジョーダンと契約したことが発表された

2019-20シーズンでは活躍が評価され

NBAオールルーキーセカンドチームに選出された(日本出身選手でNBAの賞を獲得するのは初)

2020-21シーズンでは

プレーイントーナメント2戦目を勝利してプレーオフ進出が決定

2021-22シーズンは

調整の遅れにより個人練習を続け、開幕に間に合わなかった為

ウィザーズの下部組織であるキャピタルシティ・ゴーゴーに送られ

12月下旬になりベンチ入りとなったものの

直後にオミクロン株の感染拡大による健康安全プロトコル入りとなり

同シーズン出場は2022年以降と更に出遅れることになった

シーズン中はプレイ時間が減ってしまったが

3P成功率が44.7%と大幅に向上した

2021年の東京オリンピックでは渡邊同様、日本代表に選出された

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