大切な言葉・「人生は人と人との出会いである」

大切な言葉

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2日目のすき焼きの残りにタマゴを落として、半熟になったところを

ご飯の上にのっけて食すっ!!

大好きなんです(笑)

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人生は人と人との出会いである。

 【音楽との出会い】

これは『わたし』が、好きな言葉の1つです。現在、「音楽人」としてお仕事をさせて頂いていますが音楽の道に進むとき、「色々な人と出会い」「影響を受け」「導いてもらい」今があります。『わたし』の両親は音楽とは全く!まったくっ!!関係のない会社員です(2人は木箱屋と魚関係)

 1番はじめの音楽との出会いは「保育所の発表会で使う、キラキラした音がでる鉄琴」でした。

わたし「あの楽器やりたい」

先生「○○くんは、ピアニカになったでしょ!!」

わたし「あれ1個しかないもん」

先生「ピアニカだって3個だけでしょ」

 ハッキリ言うと「新しもん好きの、珍しもん好き」だったのです。そのとき鉄琴をやった子は、11人いた木琴の中から1人選ばれて、新しい楽器「鉄琴」に抜擢されたのでした。(単純な理由ですよね)

 

 この思い出は今だに鮮明に覚えています。なので『わたし』が子供たちに「音楽の授業」をする時は、少しでも楽しく記憶に残るようなものにしたいと常日頃から思いながらやっています。

【音楽の先生との出会い】~2人の先生の言葉~

 小学校に入学した『わたし』ですが、そんなに音楽が好きって訳じゃないのは自分でも自覚していました。歌も上手ではないし「宇宙刑事ギャバン」の歌を車の中でテープに合わせて歌うくらいで、そのときの両親は『わたし』の今の生活を夢にも考えていなかったでしょうね(笑)

 そんなとき小学校の学芸発表会では各学年「音楽」「ダンス」「劇」の3グループに分かれて、発表するという今では考えられないくらい時間がかかる発表会でした。6学年x3グループ、朝9時からお昼を挟んで夕方5時くらいまでタップリ・・・そのグループ分けで「音楽」チームにみつけた「鉄琴」の文字!!『わたし』は即決!!で「音楽」グループへ

  あ~、なつかしい

 はじめて鳴らす「鉄琴」の音。キラキラしていて、ただただその音にゾッコンでした。6年間で「鉄琴」を担当したのは5年間。出来なかった年も出来ない悔しさが「鉄琴」への憧れを倍増させました。この「音楽」チーム担当の『お○だ先生』の卒業式で言ってもらった言葉

 「ありがとう。これからも音楽続けなよ!」

は今だに思い出に残るわすれられない言葉です。(はじめて誰かに認めてもらった、と思える言葉でした)

 もう1人は音楽専任の先生『あ○○げ先生』、先生は産休でお休みしていた先生の変わりに来ました。毎朝スクーターで出勤してくる姿は今でも覚えています。この先生の旦那さんが実は『わたし』が行く予定の中学校の吹奏楽の顧問をしていました。

 「中学行ったら吹奏楽部に絶対入りなよ!!」

それが先生との合言葉のようになっていました。

 「吹奏楽部○○、職員室まで」~将来は何に?~

 無事、中学でも吹奏楽部に入り、高校で続けるか悩むも中学の顧問から高校の顧問へ順調に『わたし』の事を引き継がれ、入学前から練習に連れて行かれ、選択肢なしで吹奏楽部へ。この6年間の吹奏楽部は『わたし』の音楽人生の中で、ただただ楽しかっただけでした。でもこの6年間で「吹奏楽部○○、職員室まで」は毎日言われ続けた言葉だった。

 

 進学が近づくにつれ、何の目的もなく大学に行くより、ずっと係わってきた「音楽」をやりたいという気持ちになったが、考え始めたのが高校3年の春・・・ピアノも弾けず、専門的なことを習ったこともない、親に経済的な余裕もない。「音大」への道はなくなりました。しかし、高校の吹奏楽部の顧問3人には感謝!感謝!ばかりで

「音楽で生活するなら、どんなときも音楽をしていなさい!じゃないと声をかけてもらえない」

という言葉は今の生活の基礎にもなっています。

「北海道芸術専門学校」~いろいろな音楽の知識を身につける~

 そんな音楽の知識が全くない『わたし』がそれでも音楽の道を歩ださせてくれたのが「北海道芸術専門学校」でした。推薦の試験にピアノが免除されていたのが1番の理由(笑)この時は「鉄琴」より「マリンバ」という木琴の種類の楽器の音にゾッコン。推薦試験前に偶然、NHK劇場でやっていた【耳の聴こえないマリンバ奏者 エヴェリン・グレニー】は衝撃的でまだ何も知らない音楽の世界を感じた瞬間でした。

  雪が降ったらこうだったね

  芸専の事務室

 無事に入学してしまった『わたし』。専門知識がゼロ状態で初めて聞く言葉の羅列、「コールユーブンゲン」・「聴音」・「コード進行」まだ習ってもいないのにいきなり皆が歌いだす大地讃頌(笑)さらにコンサートも生徒が、「箱取り」から「チケット・チラシ・ポスター製作」「PAの使い方」「ホールスタッフとの打ち合わせ」まで全部やる!という音楽の知識を色々と身につけさせてもらえた学校でした。

 音楽もクラシックから、ジャズ、当時では最先端という感じの打ち込み音楽、様々な分野の音楽が経験できたのが『わたし』の音楽の財産になっています。ここの校長先生が

 ○○は、もっと音楽に係わるべきだ!それをつぎの世代の人たちに伝えなさい。

と言ってくださり、職員室の校長の席の後ろにあった色紙に書いてあった

「人生は人と人との出会いである」

という言葉が人生の指針となる言葉になりました。

「こどもたちに伝えたい音楽の楽しさ」

 残念なことに「北海道芸術専門学校」は14年で閉校していまい、『わたし』も6年間しか学校にいることは出来なかった。学校の閉校作業がギリギリまで続き、就職活動もままならない状態で職なしになったが、この時「仕事がきまってないなら、ちょっと手伝って」と声をかけてくれた先生のおかげで次の音楽への道がひらき、今に至っています。

 現在は8カ所の、幼稚園・こども園・保育園と契約し、音楽の授業をさせてもらっているが、こども達に少しでも「たのしい音楽」を伝えれるように日々試行錯誤している、22年も同じ仕事をしていても、同じこどもは1人といない、そこが面白いとこでもあり、難しいとこだろう。校長先生がいっていたように「つぎの世代」に伝えていけているだろうか

  

  (この22年間の幼児音楽についてはそのうちに。)

 

  

今回はここまで。ではでは。よろしく哀愁

 

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