”どうする家康” 「海老すくい」が得意な 酒井忠次は徳川四天王の1人 どんな人だったのか

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大森南朋さん演じる酒井忠次は、何となくコミカルで親しみやすい印象を受ける。忠次は「徳川四天王(ほかの3人は本多忠勝、榊原康政、井伊直政)」の1人で「徳川十六神将」でもあった。何より、家康にとって第一の功臣である。酒井氏の先祖をたどると、松平氏にたどり着くといわれている。また、忠次の妻は家康の父・広忠の異母妹だったので、重用されたのは当然といえば当然のことだろう。

 

「海老すくい」という踊りが得意

ドラマの中では「海老すくい」という踊りが行われていた

その中でも酒井忠次は「海老すくい」が得意であり

酒宴などで披露しては大いに場を盛り上げたという

意外な一面をあらわしています

徳川家康の第一の重臣とされる酒井忠次

武功をあげ軍事にも長けていた酒井忠次には

さまざまな逸話があり

 

戦で手柄をあげ、榊原康政を黙らせた酒井忠次に対して

”強い”、”カッコイイ”、”シブい”といった印象を抱いている方も

多いのではないでしょうか?

じつは、酒井忠次にはひょうきんな一面もありました

宴会では”海老すくい”という一発芸を披露し

その場を盛り上げていたそうです

酒井忠次がつくった風習

酒井忠次がつくった風習に

「正月に門松の竹を切る」という風習をつくりました

 

元亀4年(1573年)正月、敵対していた武田家から手紙が届きます

手紙には

”松枯れて竹たぐひなき明日かな”と書かれていました。

松を松平家、竹を武田家に例えて

「松平家(徳川家)は間もなく滅亡するだろう。武田家は繁栄するだろう」と予言しました

徳川家康と家臣が怒る中

酒井忠次は濁点を入れ替えて

”松枯れで竹だくびなき明日かな”と読みました

酒井忠次は「松平家は枯れず、武田家は首を討たれる」と予言しました

ただ一人冷静に読み

皆の怒りを鎮める文に書き換えるという頭の回転の速さ

徳川家康から厚く信頼されていたのも納得できます

酒井忠次のこの行動は

正月に門松の竹を斜めに切る風習の元となりました

最大の内部分裂の修正 榊原康政を引き下がらせた

武田家を滅亡に追い込んだ徳川家康は

井伊家の再興を図る井伊直政に旧武田家臣を与えました

すると、徳川四天王の名を連ねる榊原康政は

「井伊直政と刺し違えても、旧武田家臣を斬る」と言い出しました

これに対し酒井忠次は

「旧武田家臣を井伊直政に与えたのは殿(徳川家康)だ。怒りに任せて、旧武田家臣を斬ることは、殿に対する裏切りだ」と諫めました

榊原康政は酒井忠次の言葉を聞き

もっともな」話だとして引き下がり

徳川家最大の内部分裂を防ぎました

徳川信康を切腹に追い込んだ

長篠の戦いで手柄をあげた4年後の天正7年

徳川家康の耳に信じられないニュースが飛び込みます

徳川家康の長男・徳川信康と正妻・築山殿が徳川家、織田家を裏切り

武田勝頼と内通していたというのです

徳川信康と築山殿の行動を織田信長に密告したのは

なんと徳川信康の正妻であり、織田信長の長女である徳姫

徳姫の密告をそのまま信じるべきかどうか悩んだ織田信長は

以前から親交のある酒井忠次を安土城に呼び出し真実を問いただしました

織田信長は酒井忠次が弁明することを期待していたのかもしれません

 

しかし、酒井忠次が織田信長の疑いを払拭できるような

弁明をすることはありませんでした

酒井忠次は徳川信康の侍女を側室に迎えていたため

徳川信康の怒りを買って不仲だったともいわれています

築山殿は殺され

また徳川信康は自害するよう命じられてこの世を去りました

 歌舞伎の演目となった「酒井の太鼓」

元亀3年に勃発した三方ヶ原の戦い

多くの家臣に守られて、徳川家康はなんとか浜松城に逃げ帰ります

この時、徳川家康は後を追って逃げ帰る家臣が入城できるよう

門を開けていました

しかし酒井忠次は

”門を開けていたら、戦っていた武田軍も入城してしまうかもしれない”

”家臣を犠牲にして退却したのに、武田軍を入城させては、亡くなった家臣もうかばれない”

と思い考えを巡らせて

門の前で大きな火をあげたうえで

城内にいた酒井忠次は太鼓を打ち鳴らしました

浜松城の近くまでやって来た武田軍は

何かが起こるのではないかと警戒して退却していきました

この逸話は「酒井の太鼓」という演目で歌舞伎になっています

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