「#どうする家康」本多正信はなぜ 一向宗側に就いたのか? 和睦で一揆終焉へ

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『どうする家康』は、2023年1月8日から放送されているNHK大河ドラマ第62作でNHKテレビ放送開始70周年及び大河ドラマ放送60周年記念作品。室町時代後期から江戸時代を舞台に徳川家康の生涯を描く

三河一向一揆が始まって3話目、とうとう終焉が近づいてきました。元康は家臣の誰が裏切りものなのか?怖くて出陣ができませんでした。寺の住職”空誓”も不毛な戦い、若いものまで死んでいくその現実に耐えられなくなり、和睦を受け入れます。

 

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三河一向一揆が終わって

多くの家臣が一揆側に就き闘いました

元康と空誓の和睦に終わった”三河一向一揆”でしたが

元康は家臣たちを「許す」といいます

三河の国の情勢は思った以上にボロボロでした

元康は空誓に寺を元に戻すと言いましたが

残念ながらそうはいきません

そのことを一向宗側の軍師だった”本多正信”はわかっていました

そのことを空誓に伝えましたが

空誓はもうこの戦いを続けることはできませんでした

”本多正信”は死罪・打ち首も覚悟はしていましたが

元康は三河の国からの追放を言い渡します

今後”本多正信”は出てこなくなるかもしれませんが

将来、徳川家を代々支える家臣として活躍します

本多正信は”おたま”の場所を守りたかった

なぜ?本多正信は空誓側についていたのか?

その昔、本多正信が幼少期のころ

仲の良かった”おたま”という女の子が

 

人攫いにさらわれました

数年後に戦地で偶然出会った傷ついた”おたま”をつれて

駆け込んだのが一向宗の本燈寺だったのです

すでに心が壊れていた”おたま”は仏に祈るだけでそのまま息絶えます

空誓は「なぜ軍師殿はここにいるのだ?」と問いかけます

本多正信は空誓に居たいからじゃとだけ伝えました

本多正信にとって本燈寺は”おたま”を弔った場所だったから守りたかったのでしょう

史実では

一向宗側の武将として弟の正重と共に家康に敵対

家康に挙兵した一揆勢は

反家康勢力と協力しつつ

永禄6年(1563)12月まで

土呂本宗寺、佐々木上宮寺、針崎勝鬘寺、野寺本證寺に立て籠もって

家康に一歩も引かず徹底抗戦した

一揆衆が家康によって鎮圧されると

その直後、家康は一向宗に加担した

松平家次、吉良義昭、酒井忠尚を屈服あるいは追放し

西三河において確固たる権力基盤を築き上げた

さらに、家康は自らの権力をバックにして

土呂本宗寺、佐々木上宮寺、針崎勝鬘寺、野寺本證寺に宗旨替えを求めた

ところが、彼らは要請に応じなかったので、これらの本願寺派寺院を破却したのである

本多正信は一揆衆が鎮圧された後、徳川氏を出奔して加賀国に住した

その後、松永久秀に仕え

正信のことを「徳川の侍を見ることは少なくないが、多くは武勇一辺倒の輩。しかしひとり正信は剛にあらず、柔にあらず、卑にあらず、非常の器である」と評したという

この後、大久保忠世のとりなしにより徳川氏に帰参することとなり、初め鷹匠として仕えたという

 

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自らの弱さに歯がゆさを感じつつも、家臣たちとの絆を深め、一体感あふれる、チーム徳川をつくりあげていく。

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