『どうする家康』は、2023年1月8日から放送されているNHK大河ドラマ第62作でNHKテレビ放送開始70周年及び大河ドラマ放送60周年記念作品。室町時代後期から江戸時代を舞台に徳川家康の生涯を描く
今川義元は、日本の武将であり戦国時代に活躍しました。特に、徳川家康との対立を通じて、名高い勇将として知られています。今川義元は豪傑であり、戦いにおいて素晴らしい指揮力と戦術の知識を持って、今川家の代表的な武将として知られており、強力な軍事力も持っていました。天下獲りに一番近かった武将が今川義元であるという言い伝えもありました。
しかし、織田信長との”桶狭間の合戦”にて敗れてしまいます。
今川家で最強
今川義元(いまがわ よしもと)は、現在の愛知県豊橋市出身とされています
今川義元は、今川家の第11代当主で
今川家には多くの戦国時代の指導者がいましたが
誰が最も優秀だったかは明確な証拠はありませんが
今川家をまとめ上げた義元は”天下獲りに一番近い武将”とまで言われていました
姉妹との婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義理の兄弟にあたる
「海道一の弓取り」の異名を持つ東海道の広大な地域の支配者
「海道一の弓取り」という言葉は
今川義元がこの名を持つことになった理由を表しています
今川義元は弓術に優れていたことからこの名がついたとされています
海道という言葉は「道を越えた」という意味で
海道一の弓取りという言葉は
今川義元がこの腕前によって日本全国の敵を越えたということを意味します
故に「天下獲りに一番近い武将」と言われていました
今川義元の優れていたところ
今川義元は、戦国時代において多くのことで優れていました。
特に以下のような特徴が挙げられます。
- 指揮力: 今川義元は、軍隊を率いることにおいて優れた指揮力を持っていました。
- 戦術の知識: 彼は戦術の知識に優れており、戦場での戦いにおいて常に有利な立場を取ることができました。
- 勇気: 今川義元は勇敢であり、危険な状況にも立ち向かう勇気を持っていました。
- 策略思考力: 彼は複雑な状況においても策略的に考え、最善の解決策を見つけることができました。
これらの能力から今川義元は戦国時代において重要な役割を果たし
名高い武将として知られています。
桶狭間の戦い
桶狭間の戦いは
1615年に行われた日本の歴史的な戦いです
この戦いは織田信長と今川義元の軍隊が対峙し
今川軍は織田軍に対して数的に有利であったため
勝利する可能性が高かったと考えられていましたが
今川義元が織田信長に敗れたことにより
織田信長が天下獲り、日本全国を統一するためにの足がかりとなりました
当時、桶狭間では大雨になっていたという記述があります
その為、今川軍は軍隊を細かくして雨宿りしているところを
織田信長の軍隊が今川義元の本陣を攻撃することに成功
桶狭間で今川義元を打ち負かしました
この時の今川義元のいで立ちを
「胸白の鎧に金にて八龍を打ちたる五枚兜を被り、赤地の錦の陣羽織を着し、今川家重代の二尺八寸松倉郷の太刀に、壱尺八寸の大左文字の脇差を帯し、青の馬の五寸計(馬高五尺五寸の青毛の馬)なるの金覆輪の鞍置き、紅の鞦かけて乗られける……。」と伝えている。
この戦いは日本の歴史にとって重要な出来事となりました
織田信長が今川義元に勝利したことで
天下を獲り、日本全国を統一するための政治的・軍事的な地位を確立しました
”桶狭間の戦い”は、織田信長が天下を獲る過程を示す重要な出来事として知られています。
その後の今川家
父・今川義元が討たれた後
息子・今川氏真は若輩だったこともあり人心掌握の才に欠け
井伊直親や飯尾連龍などを粛清することで事態の収拾を試みたが
逆に人心の離反を加速させてしまい家臣の離脱が相次ぎました
多くの国人領主の支持を失い自国領内すらまともに統治できない状態となった今川氏は
見る見るうちに衰退していき義元の死から9年後永禄12年(1569年)
今川氏真は信玄と家康によって駿河・遠江を追われ
大名としての今川家は滅亡した
偉大過ぎた父・今川義元を失った今川家ですが
もともと強力な軍事力があったはずなので
今川氏真がもっと優秀ならば滅亡することもなかったでしょうね
早く瀬名ちゃんを助けてあげて欲しいです

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