『どうする家康』は、2023年1月8日から放送されているNHK大河ドラマ第62作でNHKテレビ放送開始70周年及び大河ドラマ放送60周年記念作品。室町時代後期から江戸時代を舞台に徳川家康の生涯を描く
本多 正信(ほんだ まさのぶ)は、戦国時代から江戸時代前期の武将・大名。徳川家康の家臣で、江戸幕府の老中。相模国玉縄藩主。正信系本多家宗家初代。
本多家には「正信系」と「忠勝系」がある
父祖以来、徳川氏に仕えるが、三河一向一揆に与して鎮圧後に三河を出奔。後に許されて家康のもとへ帰参し、江戸開府後は家康、次いで2代将軍・徳川秀忠の側近として幕政の中枢にあり権勢を振いました。
史実では
1538年、本多俊正の次男として三河国で生まれ
徳川家康に仕えた、桶狭間の戦いの際には今川義元の命で丸根砦を攻める家康に従い
その合戦において膝に傷を負って以来足を引きずるようになったという
しかし1563年、三河一向一揆が起こると
一揆方の武将として弟の正重と共に家康に敵対
一揆衆が家康によって鎮圧されると
徳川氏を出奔して加賀国に住した
この後、大久保忠世のとりなしにより徳川氏に帰参することとなり
初め鷹匠として仕えたという
帰参時期は諸説あって定かではない
早ければ元亀元年1570年の姉川の戦いの頃
最も遅くとも本能寺の変の少し前の頃には正式に帰参が叶っていたようである
1582年頃には、既に家康の信任を取り戻していたようであり
この頃以降、重臣として要職を歴任していくようになる
表舞台へ
1582年、本能寺の変が起こって信長が横死すると
当時、堺の町に滞在していた家康は伊賀越えを決意する
このとき、正信も伊賀越えに付き従ったともいわれる
その後、天正壬午の乱を征した家康が旧武田領を併合すると
奉行に任じられて本領安堵と引き換えに徳川家臣団への参集を呼びかけ
武田家臣団を取り込み甲斐・信濃の実際の統治を担当した。
1600年の関ヶ原の戦いでは、徳川秀忠の軍勢に従い
信濃上田城で真田昌幸の善戦及び川の増水に遭い、遅参している
この時、正信は秀忠に上田城攻めを中止するように進言をしたが
容れられなかったと言われている。
『大久保家留書』によると、関ヶ原の戦い以降の徳川家の軍議で
家康の後継者を巡って、井伊直政は娘婿の松平忠吉を、大久保忠隣は秀忠を支持することを表明した
それに対して正信は長男の正純とともに結城秀康を支持することを表明した
服部半蔵と友人
今回の「どうする家康」の中では
本多正信(松山ケンイチ)は2代目服部半蔵(山田孝之)と仲が良いようだ
元康の妻・瀬名を救い出す為に
本多は服部半蔵一家に瀬名救出の頼みます
”瀬名奪還作戦”の始まりです
本多は奪還が成功したら服部家の再興にもなると話を持ち掛け
服部一族は服部半蔵の命のもと作戦を準備します
初めは瀬名とこどもという話だったが
関口氏純夫婦やご家来の救出まで請け負いますが
今川氏真の家来、鵜殿長照の待ち伏せに合い
失敗に終わります
服部一家はほぼ全滅にあい
今川氏真は関口氏純夫婦、瀬名、こどもたち、全員死罪を言い渡します
”瀬名奪還作戦”が失敗に終わった、本多正信と服部半蔵は名誉挽回の直訴をしました
さて”続・瀬名奪還作戦”はどうなるのでしょう?
瀬名は無事に救出されるのか?

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