「どうする家康」織田信長、まさかの裏切りで撤退 金ヶ崎の戦い 殿軍(しんがり)を務めたのは”サル秀吉” 

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『どうする家康』は、2023年1月8日から放送されているNHK大河ドラマ第62作でNHKテレビ放送開始70周年及び大河ドラマ放送60周年記念作品。室町時代後期から江戸時代を舞台に徳川家康の生涯を描く

金ヶ崎の戦い(かねがさきのたたかい)は、戦国時代の1570年に起きた、織田信長と朝倉義景との戦闘のひとつ。金ヶ崎の退き口(かねがさきののきくち)または金ヶ崎崩れとも呼ばれ、織田信長の撤退戦である。非業の死を遂げた本能寺の変より前に、絶体絶命のピンチが襲い掛かった戦いだが妹のお市の方からの知らせで、すでに攻略していた金ヶ崎城を拠点として、木下藤吉郎と池田勝正や明智光秀が殿を務めて撤退戦が行われた。

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木下藤吉郎の功績

1570年、越前国の朝倉義景討伐に従軍

順調に侵攻を進めていくが

金ヶ崎付近を進軍中に盟友であった北近江の浅井長政が裏切り

織田軍を背後から急襲した

浅井と朝倉の挟み撃ちという絶体絶命の危機であったが

秀吉は池田勝正や明智光秀と共に殿軍を務め

織田信長は無事に”京”へ撤退することに成功しました

(=金ヶ崎の退き口金ヶ崎崩れとも呼ばれた)

実は殿を命じられたのが池田勝正や明智光秀で

身分の高い順に撤退したと思われるので

木下藤吉郎は農民の出だったために序列的に底辺だったため

結果的に殿軍になってしまったのでしょう

そして姉川の戦いの後には、奪取した横山城の城代に任じられ

浅井氏との攻防戦に従事した

その後も小谷城の戦いでは3千の兵を率いて

夜半に清水谷の斜面から京極丸を攻め落すなど浅井・朝倉との戦いに大功積をあげた

徳川家康が実際の殿軍に

織田信長が反将軍派の後ろ盾とみた朝倉義景の討伐のために

木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)、徳川家康、明智光秀らを率いて出陣しました

信長の軍勢は3万とも言われています

その後、福井県美浜町の「国吉城」に到着し

2日後には家康が「金ヶ崎城」に隣接する「天筒山城」を半日で落とし

1300人以上を討ち取ったとされています。

「金ヶ崎城」を藤吉郎が開城に成功させて敦賀の占領に成功します

さらに奥へ攻め込むために先鋒を務めた家康は

木の芽峠を越え、朝倉の本拠地である一乗谷へ一気に攻め込むつもりでした

浅井と朝倉に挟み撃ちにされる危機を悟った信長は

家康に知らせもせずに撤退してしまいました

先陣として木の芽峠付近にいた家康軍が後衛を追いかけて実質の殿軍になったようです

家康軍は「佐田」で全滅寸前の木下藤吉郎を朝倉の追軍から救います

(佐田…美浜町東部、若越国境に接する集落。)

この時、藤吉郎は家康に深く厚意に感謝したそうです

そのあと若狭国まで退却した木下藤吉郎は国吉城に

徳川家康は土井山砦に一時立て籠もったという伝承もあるようです

※土井山砦…国吉城の出城と伝わり、耳平野西端の独立丘陵北部(標高69.4
m)に位置する。北側の麓を東西に丹後街道が通過し、丘陵の西側は『国吉
籠城記』諸本に出てくる徳川家康が陣を張ったという別所ヶ原

殿軍を率いた大将は秀吉ではなく池田勝正

金ヶ崎の戦いは金ヶ崎の退き口金ヶ崎崩れとも呼ばれ

織田信長や徳川家康にとっても絶体絶命のピンチでした

撤退にあたり、木下藤吉郎が殿軍を務め

奮戦の末に信長を脱出させることに成功させ

大出世するみたいな話はよく知られていますが

殿軍というのは討死を覚悟で敵の追撃を食い止めるための任務であり

非常に危険なものです

そのため武芸や人格に優れた者が選ばれ務める大役であり

秀吉はこれを見事果たしたことで

知恵者だけでなく武勇も兼ね備えていると

織田家中で見られるようになり

のちに重臣へと上り詰めていくきっかけになったといわれています

しかし、この殿軍には池田勝正や明智光秀がいました

実際に殿軍を率いた大将は木下藤吉郎ではなく池田勝正であり

木下藤吉郎は勝正に率いられた一武将として参加し

身分が低い農民の出だったために撤退が後々になっただけ

家康も先鋒で敵軍の前線で戦っていて撤退が遅れたために

結果的に殿軍になってしまったということでしょう

”どうする家康”ではそこら辺をどのように表現してくれるのか

”曲者”木下藤吉郎や”弱虫”徳川家康、”性悪”明智光秀がどんな活躍をするのか楽しみですね

「どうする家康」殿軍を命じられたのは”サル秀吉”

阿月が命を懸けて伝えた事に

織田信長はやっと重い腰を持ち上げ

義弟:浅井長政の謀反を受け入れました

家康と信長のやり取りもかなり面白かったですよね

織田軍はこの時、ほとんど詰みかけていた状態でしたが

信長は”サル”に殿軍を命じます

浅井長政の軍を少ない兵隊で相手にするのですから

生きて帰れる保証はありません

信長は家康には”好きにするがよい”といい

撤退の準備をするため家康の陣をあとにします

家康は”サル秀吉”に一緒に戦ってくれなければ

「浅井軍に寝返った」と言いふらすと脅されます

ここは家康が引き返して秀吉を救ったという美談になったりもしますが

残念ながら秀吉に脅されるということでした

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