「どうする家康」浅井長政の裏切りの知らせは ”小豆”ではなく”阿月” 

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『どうする家康』は、2023年1月8日から放送されているNHK大河ドラマ第62作でNHKテレビ放送開始70周年及び大河ドラマ放送60周年記念作品。室町時代後期から江戸時代を舞台に徳川家康の生涯を描く

「浅井長政」(あざいながまさ)と言えば、「織田信長」の妹「お市の方」(おいちのかた)の夫。知勇に優れた美男子と評されていました。浅井長政は、一度は義兄・織田信長と同盟を結びましたが、朋友「朝倉義景」(あさくらよしかげ)との関係を優先したため敵対。一家離散、自害へと追い込まれることになりました。浅井長政はなぜ、そんな選択をしたのでしょうか。浅井長政の生涯に迫ります。

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浅井長政はどのような人物だった

浅井長政は、1545年(天文14年)生まれ

幼名は「猿夜叉丸」(さるやしゃまる)

浅井家の3代目当主で、祖父は「浅井亮政」(あざいすけまさ)です

浅井亮政は、北近江の守護であった京極氏に仕えていましたが

京極氏の後継者争いの際に乗じて一揆をおこし

北近江の土地を支配するようになりました

父は「浅井久政」(あざいひさまさ)武勇に冴えず

南近江の守護「六角義賢」(ろっかくよしかた)に敗戦

浅井長政が生まれる頃には

浅井亮政が手に入れた北近江を手放し

六角氏に従属するようになっていました

そうした背景の中、浅井長政は15歳で元服

六角氏からの圧力で、六角義賢から「賢」の1字をもらって

「浅井賢政」(あざいかたまさ)と名乗らされます

さらに、六角氏の家臣「平井定武」(ひらいさだたけ)の娘と婚姻を強いられました

六角氏の家臣の娘と婚姻すれば

自分の代も六角氏の家臣と同じと見なされてしまいます

浅井長政は、この結婚に不満を抱きついに反旗を翻すのです

しかし、六角氏も浅井長政がいずれ歯向かってくることを察知していました

そうした六角氏の行動を示すのが、「肥田城の水攻め」です

浅井長政が肥田城に救援に向かったことで、さらなる戦いに発展します

それが1560年(永禄3年)「野良田の戦い」です

長政軍が11,000兵六角軍は25,000兵という戦いでした

長政軍が圧倒的に不利だと思われましたが

浅井長政の戦いぶりは見事で、家臣達を心酔させたほど

結局、長政軍が勝利します

織田信長と同盟

浅井長政の勇将ぶりは、遠く「織田信長」の耳にも届いていました

織田信長が美濃国の斎藤氏攻略に手を焼いていたのは、丁度この頃で

織田信長は、隣国である近江の権力者となった浅井長政と手を組めば

美濃国を挟み撃ちにできると考えたのです

織田信長は美濃国「斎藤龍興」(さいとうたつおき)の稲葉山城を手に入れるため

浅井長政に同盟を提案

同盟受け入れの見返りとして

織田信長は絶世の美女と言われた妹・お市の方との結婚を約束します

これは、織田信長が妹を送ることで浅井長政と繫がりを深め

お互いに簡単に敵対しないような関係を作るということで

浅井長政にとってこの同盟は決して悪いものではありませんでした

しかし、懸念も拭えません

それは、浅井長政がかねてから恩義があった「朝倉家」「織田家」が不仲であったこと

そのため、浅井長政は「朝倉家への不戦の誓い」を条件として

織田信長との同盟を受け入れることにしました

そして、同年9月に浅井長政(22歳)とお市の方(20歳)が結婚

浅井長政はこの結婚を機に、織田信長から1字をもらって

新九郎を「長政」に改名します

織田信長は喜び、この結婚の費用をすべて負担したと言われています

織田信長と浅井長政が対立

「浅井家と古い同盟関係にある朝倉家には攻め込まない」という約束だった

織田家と浅井家でしたが

その約束を信長が破ってしまったので

長政は信長と対立することになり、姉川の戦いへと繋がるわけです

足利義昭を第15代将軍として担ぎ上洛した信長ですが

この時代、新しい将軍が決まったときには

各大名は挨拶に行くことになっていて家康もそのために上洛しました

もちろん、朝倉家も例外ではありません

しかし、信長による再三の勧告も聞かず、朝倉家は挨拶に来なかったのです

怒った信長は、朝倉家討伐に向け越前に出陣し金ヶ崎城を包囲しました

信長と共に、徳川家康・明智光秀・木下秀吉が出陣していたため

はじめのうちは織田軍が優勢でしたが義理の弟・浅井長政の離反します

信長が長政の裏切りを信じたのはある知らせがあったからでした

それは妹・お市からの密告でした

“小豆”で離反を知らせるはずが・・・

お市は、小豆を袋に入れ両端を縛ったものを送って、信長に長政の離反を伝えたのです

なぜ小豆の入った袋で、そんなことが伝わったのか?

一説では、小豆の入った袋は信長の父・信秀が大敗した

小豆坂の合戦を暗示していたのではないかといわれています

小豆坂の合戦では、父・信秀があと一歩で勝利というところで伏兵に横合いを突かれ

退路を塞がれたことが大敗の原因でした

お市は、兄・信長が朝倉を攻めている間に長政が裏切り

父のように退路を絶たれ負けることを心配したのでしょう

小豆入りの袋を送ることで「浅井の裏切りで、兄上は袋のネズミとなりつつあります」

伝えることに成功しました

しかし、どうする家康ではお市の方に金平糖を食べさせてもらったの侍女の

”阿月”が暗い道を単独一人で信長まで知らせに走るようです

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ピアノが苦手な音楽講師のブログ
「どうする家康」命を懸けて金ヶ崎まで走った”阿月” 演じた”伊東蒼” プロフィール
浅井長政の謀反により、お市の方は手紙を入れた”小豆袋”を託しますが、残念ながら浅井家の家臣に捕まって、信長たちへお市の方のメッセージは届きませんでした。お市の方の心中を察して”阿月”ちゃんはお市の方の兄・信長、そして家康のいる「金ヶ崎」まで軽装で走ります。浅井家の兵隊に湖に落とされても走ります。この”阿月”ちゃんはなんとも不思議な雰囲気を醸し出していますね。”阿月”を演じている”伊東蒼”さんのプロフィールを調べてみました。

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