武田信玄は織田信長ですら、うかつに手が出せないほどの”戦国最強”の名に相応しい武将でした。武田信玄の隣の地に”上杉謙信”がいなかったら、武田信玄はその強力な戦力をもって、織田信長以上に天下を治めていたかもしれません。実際に織田信長は一度も武田信玄とは戦っていませんでした。しかし、そんな武田信玄も病には勝てませんでした。その病は何だったのでしょう?
最強・武田信玄の”風林火山”の意味
風林火山は、甲斐の戦国大名・武田信玄の旗指物(軍旗)に
記されたとされている
【疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山】の通称であるが
これは孫子のの兵法に書かれている一節で
実は風林火山の後にも続きがあったのは意外と
知られていないと思う
【故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷霆、掠郷分衆、廓地分利、懸權而動】
これが全文で訳すと
其疾如風: 其の疾きこと風の如く、
其徐如林: 其の徐かなること林の如く、
侵掠如火: 侵掠すること火の如く、
不動如山: 動かざること山の如し、
難知如陰: 知り難きこと陰の如く、
動如雷霆: 動くこと雷霆の如し、
掠郷分衆: 郷を掠めて衆を分かち、
廓地分利: 地を廓めて利を分かち、
懸權而動: 権を懸けて動く。
※ウィキペディアより引用
「風林火山」は
いざ戦争となった場合の動きを示すための言葉であり
動くべき時には風のように迅速に
動くべきでない平常時には林のように静観し
いざ行動を起こすときには烈火の如く侵攻し
守るべき時には山のようにどっしりと構えるよう
状況に応じて柔軟に対応するように
……との戒めの言葉だったようだ
武田信玄の持病は何?
「三方が原の戦い」で武田信玄は
徳川家康に大勝しましたが
その後、武田信玄は“奇遇にも”病気で亡くなります
そのことを説明をする前に
まず織田信長と武田信玄の関係を説明します
織田信長は先ほども言ったように一度も戦っていません
それどころか信長は姪を養女として
信玄の息子・武田勝頼に嫁がせています
史料には
武田信玄の病気は胃ガンで
いつも大量の薬を持ち歩いていたと記されていますが
今のように検査や抗がん剤もありませし
民間療法ぐらいでしょうし
もし、その中に毒薬を紛れ込ませたとしたら
信長が姪を信玄の息子に嫁がせたことも
武力で攻略するのではなく
知略で信玄を攻略するという
信長の戦略だったかもしれません
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