「どうする家康」お田鶴の方 椿姫と謳われる女城主 飯尾連龍を裏切る

エンタメ

『どうする家康』は、2023年1月8日から放送されているNHK大河ドラマ第62作でNHKテレビ放送開始70周年及び大河ドラマ放送60周年記念作品。室町時代後期から江戸時代を舞台に徳川家康の生涯を描く

お田鶴の方はどんな女性だったのでしょうか?鵜殿長照の妹・お田鶴の方は、長照と妻の今川義元の娘の子として誕生した(生年不詳。父に関しては異説あり)。のちに、お田鶴の方は、曳馬城(浜松市中区)を居城とする、今川氏の家臣・飯尾連龍の妻となった。

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飯尾連龍の妻として

飯尾氏は室町幕府の奉行人の系譜を引くといわれ

名門の家柄だった

今川氏に請われて遠江国にやって来たという

なお、連龍は乗連の子として誕生したが生年は不明である

すくすくと成長したお田鶴は

まだ10歳にもならない幼さで遠江国曳馬(ひくま。現:静岡県浜松市)

城主・飯尾豊前守善四郎連龍(いいお ぶぜんのかみ ぜんしろう つらたつ)の元へ嫁ぎます

血縁の有無は不明だが、系図上は徳川家康の正室・築山殿のいとこに当たる

永禄8年12月、連龍は駿府に出仕したところ

氏真の軍勢に攻められ殺害された

氏真は連龍が徳川家康と内通していると考え

その疑念が晴れなかったので殺したという

お田鶴の方は謀反の疑いで今川氏真に殺害された夫に代わって引間城を守り

遠州侵攻を目指す徳川家康に攻め込まれて討ち死にしたとする伝承が残っている

引間城を守っていたお田鶴の方は

家康に帰順を求められたが受け入れず

侍女18人とともに戦って討ち死にした

純白のはちまきと緋色(ひいろ)のよろいをまとい

なぎなたを手にした壮絶な最期だったという

なぜ椿姫と呼ばれたか?

家康はお田鶴の方らのために塚を築き

手厚く葬った

築山殿はその死を悼み

葬られた塚にツバキの花100株を植えたという

毎年美しい花を咲かせて「椿塚」と呼ばれるようになり

「椿姫観音堂」の名前の由来となった

家康がお田鶴の方らを葬ったとされる塚は

区画整理のため当時の位置より5メートルほど南東の現在地に移り

1944年に地元住民らにより「椿姫観音堂」が建立された

現在は住宅や商店が並ぶ市街地の一角に

広さ10平方メートルほどの観音堂がひっそりとたたずむ

木像をおまつりするお堂、祈願石、鈴などがあり

毎年秋には元浜町自治会により追悼供養が行われている

大河のお田鶴の方は?

大河ドラマに出てくる”お田鶴の方”は

今川義元が生きているときの平和な駿府で

瀬名ちゃんと走り回っていた

そんな日々を追い求めた結果

瀬名ちゃんの両親や自分の夫を結果殺してしまうことになる

最後は駿府が落ちたことを知り

”もう昔には戻れないんだ!”という寂しさ故にすべてを悟り

瀬名宛に書いた手紙を懐に忍ばせ

城に火をつけて不退転とし家康たちに向かっていった

敗れるのはわかっていたのに

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