『どうする家康』は、2023年1月8日から放送されているNHK大河ドラマ第62作でNHKテレビ放送開始70周年及び大河ドラマ放送60周年記念作品。室町時代後期から江戸時代を舞台に徳川家康の生涯を描く
家康と築山殿が離ればなれに暮らして数年。家康の髪結いをしていた女性、周りの仕事仲間にも”うかつなお万”と言われていた。”お万”は元々、築山殿の侍女として囲われていたようですが、なんと築山殿がいないうちに”お万”をお手つきしてしまって、子供まで出来てしまったようです。
うかつな”お万”は、計算しつくされた行動で家康の子をお腹に宿しました、徳川家康は武田信玄との戦いで惨敗・敗走し身も心もボロボロで誰かの優しさに包まれたかったかもしれません。そんな中、妙な色気で迫り、あざとく誘惑し近づいてきた女性にながされるのは致し方なかったかもしれません。”お万”は腹の中の子供が認知されても、認知されなくても家康から貰えるであろう”金”でお家の再建まで考えていたようです。まさに”お万”の計画どおりでした。
お万の方
現在の愛知県知立市にある
知立神社の神主(吉英)の娘
おこちゃ、長勝院、小督局とも呼ばれた
城で奉公していたお万の方はいつとなく妊娠したが
家康は「覚えがない」と認めなかった
城に住むことが難しくなったお万の方は
家康家臣の本多重次の計らいで
代官の中村家住宅へ移り、
天正2年に家康次男の於義丸(結城秀康)を出産した
それでも家康は納得せず
お万の方と重次は勘当され
家臣らからの献上品もなかったとされる
後に家康長男の信康のとりなしで
家康は於義丸と対面し
ようやくわが子と認知された
家康が出産後もしばらく認知しなかった理由については
正室の築山殿の怒りを恐れた
双子で縁起が悪いと考えられた
当時は戦続きで忙しかった―などが考えられている
こうした事情から
お万の方は家康から寵愛を受けなかったとされる
「どうする家康」のお万
男は戦で欲しいものを手に入れる
「男どもに戦のない世など作れるはずがない」
戦で疲れ切った殿を慰めただけと
言い切った”お万”は芯のしっかりした女性でした
うかつな”お万”と周りに言われてはいましたが
実は計算された行動で
家康に近づき、お手付きされお腹に子を宿し
認知されても、認知されなくても
家康から貰えるであろう”金”で
お家の再建まで考えていたようです
史実では築山殿がお万の方に嫉妬のあまり
磔・折檻をしたいわれていますが
築山殿が来る前に周りの侍女にたちに
木に縛り付けてほしいと頼み
涙を流して築山殿に折檻してほしいと言い出しました
そのことは築山殿には目抜かれていました
「これでは、うちの殿などひとたまりもあるまい。見事じゃ。それもおなごの生きるすべじゃ。私は嫌いではないぞ」
その後、お万の方は城を去っていきました
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